令和5年の1月 晴天の週末
お正月の運動不足を解消するために都内一人散歩に出かけました。
いつも仕事で歩くことが多い中央区日本橋エリアで個人的にいつも参拝している神社を5つ選んでみました。
中央区日本橋エリアは、起伏が少ない地形なので
お天気が良くて風が無ければマフラーとコート、手袋、歩きやすい靴で軽やかに散歩を楽しめます。
メモ
今回の散歩コース
人形町駅→小網神社→銀杏稲荷→茶の木神社→三光稲荷神社→福徳稲荷神社→東京駅八重洲口
人形町駅から中央区日本橋小網町「小網神社」
今回のコースは、人形町から始まります。
人形町までは電車を利用しましょう!
小網神社へのアクセスは、東京メトロ人形町駅のA2出口が便利です。
この出口を出て、写真の左に見えている歩道をまっすぐ進むと神社への道案内の看板があります。1本道なので心配ないです。
谷崎潤一郎生誕地もあります。
この1本道をしばらく進むと、右手のビルに谷崎潤一郎生誕の地のプレートがあります。
右側のプレートには、明治19年7月24日に生まれた谷崎は、この地にあった祖父が経営する谷崎活版所で生まれたことが書かれています。
小網神社は人気のパワースポット
小網神社のご祭神は「倉稲魂神」(お稲荷大神)「市杵島比賣神」(弁財天)福禄寿さまなどです。
1月は、門松が飾ってありました。
参拝の方が多く、写真は建物上部を撮影しました。
第二次世界大戦の際に戦地に赴くことになった氏子の出征報告祭りに参列し、お守りを受けた兵士が全員無事に生還したことはたいへん有名です。また、昭和20年3月10日の東京大空襲の際も建物は奇跡的に戦禍を逃れています。
このようなご由緒から「強運厄除け」の神様として現在はいつも参拝なさる方が絶えない神社です。
朝8時少し過ぎに到着しましたら、お札やお守りをいただくところには長い列ができていました。
参拝は、思ったよりすんなりと本殿正面まで進むことができます。
小網神社から銀杏稲荷へ
小網神社のすぐ近くに銀杏稲荷(いちょういなり)があります。
名前のとおり秋になると境内の銀杏が見事に色づきます。
見事な銀杏の木が何本もありまして、葉が繁っている季節は程よい日陰ができてビルの谷間のオアシスのようになっています。
境内にある由緒書によると、銀杏八幡は江戸時代の福井藩常磐橋 松平氏の邸内鎮守として祀られていました。松平家はもとより家臣の崇敬を集めていたとあります。銀杏稲荷はその境内社だったんですね。
人形町界隈には、大名屋敷の邸内にあった神様が現在は一般の人も参拝できるようになっている神社があります。こちらもその一つです。
ひっそりとしていますが、平日は通勤途中の方がたくさん参拝なさっています。
銀杏稲荷から茶の木神社へ
銀杏稲荷に参拝した後は、正面の歩道をそのまま真っ直ぐ3分ほど歩くと、茶の木神社に行けます。
茶の木神社のご祭神は、倉稲魂大社で伏見系のお稲荷様であるとHPに由緒が書かれています。
由 来 ( History ) | 日本橋人形町 茶ノ木神社 ご案内 WEB (nihonbashi-chanoki.wixsite.com)
こちらの神社も、江戸時代は下総国佐倉の城主 大老 堀田家の中屋敷の邸内にあったとのこと。
名前の通り、その昔から社殿の周囲には茶の木が植えられていたと伝わっています。
こちらもビルの谷間にある神社となっています。
春には脇ある桜が見事ですので3月の終わりくらいから4月初旬の散歩も良いですね。
茶の木神社から商店街の町並みを楽しみながら三光稲荷へ
茶の木神社から三光稲荷神社まではしばらく歩きます。
そのあいだに人形町の町並みを楽しみながらゆっくり歩きました。
人形町には、歴史のある和菓子屋さんがたくさんあります。
和菓子 壽堂
その中で「黄金芋」というニッキの香りがするお芋の形をしたお饅頭のようなお菓子が有名な「壽堂」さんの建物は、窓が赤くてレトロな雰囲気でステキです。
早朝からお菓子を作っている香りがしています。
開店前の時間でしたので、シャッターも撮影できました。
人形町のからくり時計
人形町商店街を歩いて行くと、からくり時計があります。
これは2009年(平成21年)に出来ました。
写真は「火消し」のからくり時計
道路を挟んで反対側には「落語」の時計があります。
玄治店(げんやだな)跡
人形町交差点の三光稲荷神社側にあります。
江戸時代初期にこのあたりに、幕府の医師であった岡本玄治の拝領屋敷があったことから「玄治店(げんやだな)」と呼ばれていました。
その屋敷はたいへん広く、1,500坪あったといわれています。
ここからなら、江戸城もすぐでしたよね。
三代将軍家光に重用され数多くの功績があったとされています。
玄治の子孫は、その後9代に渡ってこの地に住み、明治維新で地所を奉還したと伝えられています。
三光稲荷神社
茶の木神社から三光稲荷神社までのあいだには、他にも見所がたくさんありますが、今回は大伝馬町まで仕事に出かける途中に見つけた「三光稲荷神社」に1月のご挨拶を兼ねて参拝しました。
少し細い路地を入ったところにあります。
こちらも江戸時代からあるお稲荷様です。
元禄時代には歌舞伎俳優、二代目 関三十郎の屋敷内に勧請されていました。
お稲荷様ですが、入り口には狛犬がいます。
この日、社殿の中には金色の獅子頭が1対置いてありました。
提灯の下に金色に見えています。
人形町から堀留町まで歩いてきました。
この後は、堀留町交差点を反対側に渡って、日本橋室町方面に進みます。
目指すは!福徳神社(芽吹稲荷)です。
「福徳神社(芽吹稲荷)」
せっかく日本橋三越の近くまで行くなら、是非参拝したい神社です。
福徳神社は、芽吹稲荷とも呼ばれ、今から1,100年以上前の貞観年間(859~876年)には鎮座していたという由緒ある神社です。
ビルの谷間にここだけ空が広く見える神社の敷地は、実際に訪れるとたいへん清々しく感じます。
あの徳川家康も天正18年(1,590年)に参拝され、その後も数度の参拝があり
二代将軍 秀忠公も参拝され「芽吹稲荷」と名付けられたそうです。
主祭神は「倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)」お稲荷様です。
ご神紋はお稲荷様の定番「抱き稲」といい稲穂が向かい合っているものです。
平成26年の日本橋室町の再開発により現在の地に遷座
福徳神社は、現在の地に至るまで4度の遷座をしています。
江戸時代は、木造建築が多く火災も頻発していました。
その後、関東大震災や町並みの変遷などの影響により建物の屋上やビルの中に鎮座されていたこともあれいます。
福徳神社のホームページには、ご由緒が詳しく書かれていますので、
お出かけ前に読んで参拝なさると、この地で参拝できるありがたさをご理解いただけると思います。
幕府公認の富くじが行われていました。
江戸時代、幕府は由緒ある寺社に限り堂社修復の費用捻出のために富くじ興行を公認していました。
福徳神社もこの富くじ興行を公認されていましたので、
予約すれば一般的なご祈願のほかに宝くじ当選のご祈願も行っていただけます。
毎月準備なさっている数量が早めに終了する「宝袋」は授与品のなかでも人気です。
この社殿になってから植樹された木々は、季節毎に美しい景色を見せていただけます。
日本橋にお買い物の際は、ついでに是非足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
この日の私は、日本橋を徒歩で渡り、東京駅八重洲口までぶらぶらとウィンドウショッピングをしながら歩いて帰りました。
もちろん!途中でお茶もいただきましたよ。
今回の散歩コースの振り返り
お天気が良く、風も無く、平坦なコースでスニーカーでスタスタ歩けたこのコース。
この日の歩数は、人形町駅スタートから福徳稲荷神社まで11,012歩でした。このあと自宅からの往復を加算しますとこの日は13,900歩。
寄り道多い(笑)散歩です。
ゆっくり観光しながら歩いて、時間はAM8:00~9:45と約2時間弱です。
60代の一人散歩にはちょうど良いかなと思います。
中央区にお出かけの際は、良かったら歩いてみてください。